私はコレクターです。
っていうか、コレクター体質なのね。
欲しい物はお財布が許す限りは手に入れずにいられないという。
で、手に入れてしまうとそれだけで満足してしまって
場合によってはそれを持っていることすら忘れてしまったりする。
私の主なコレクションアイテムは、お人形とわちふぃーるどグッズ。
わちの品物はアパレルと雑貨なんで、これは特に問題なし。
やっかいなのはお人形の方ね。
いや別に私自身はやっかいだなんて思ってやしないんだけど。
お人形というのはそれぞれの持ち主が独特の思い入れを持っているアイテムなのね。
接し方も人それぞれ。
箱入りのまま保管し続ける、文字通りのコレクター。
あるいは少数のお人形を所持して並々ならぬ愛情を注ぎ込むひと。
手作りドレスを楽しむひと。
市販のお人形をカスタムしたり、一から作ってゆくひと。
などなど。
本当に人それぞれ、十人十色の考え方、接し方があるの。
私はそのどれもアリだと思うのね。
でも中にはお人形を箱入りのまま持ち続けるのはお人形が可愛そうだとか、
ひとりで同じお人形を複数体所有するのは
他に欲しい人に行き渡らなくなるから反対だとか、
あれもこれもと買い集めるのは邪道だとか、
そんな声を良く聞くのね。
でも、ねぇ....
たくさん数を持ってる人がお人形に愛情がないだとか大事にしてないだとか
どうして言えるのかね。
愛情の形なんてひとそれぞれでしょうに。
同じお人形を一人で何体も買うなんて許せない、そんなことするから買いたくても買えないひとが出てくるんだ、なんて言われてもね。
『一期一会』って言葉があるでしょう。こんな風な使い方が適切かどうか分かんないけど。
たまたまそこでそのお人形と出会えた。欲しいと思った。だから、買う(お迎えする)
それが1体だろうと何体だろうと同じ事じゃない?
1体でいいやと思ったら1体だけしか連れ帰らないし、2体欲しいと思えば2体連れ帰る。
それって、そんなにいけないことかな?
『縁』だと思うんだよね、お人形との出会いもね。
『縁』があるから出会った、お迎えすることが出来た。
『縁』がなければどんなに望んでもお迎えすることは出来ない、1体たりとも。
私はそういうもんだと思ってるのね。
それって、いけないことなんでしょうかね?
ドールイベントが開催される度に思うこと。
でも、いけないって言われても私はやめないよ。
お財布と収納の都合がついて、『縁』があれば、ね。
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